アウシュヴィッツに行くことに理由はいらない。負の遺産を感じ・知ること

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ポーランドにある「アウシュヴィッツ強制収容所」。
ご存知の通り、20世紀最大の悲劇が起きた地であり、人類の「負の遺産」として1979年に世界遺産に登録されました。

旅の話をした時に「なんでそんなところに行ったの?」と言われることがあるのですが、実はあまり深く考えて選んだ訳ではありませんでした。ただ、訪れた今は、本当に行って良かったと思っています。

人の残額さ、命を落とした方々の無念さ。
私ができることは限りなく少ないけれど、こんなことが二度と起こらないようにと祈るばかりです。

※本記事(主に写真)は2012年7月に訪れた当時の内容です。Meの美術館訪問の軌跡を残したいことと、これから旅を考えている方の参考になればと思っています。最新の情報は、公式サイトなどでご確認ください。

アウシュヴィッツとは

アウシュヴィッツ

第二次世界大戦時にナチス・ドイツが提唱した人種差別である「絶滅政策(ホロコースト)」により設置された最大規模の強制収容所。130万人もの人々が強制送還者されています。その90%はユダヤ人です。ポーランドのクラクフ近郊に位置し、アウシュヴィッツ第1強制収容所、アウシュヴィッツ第2強制収容所(ビルケナウ)、およびアウシュヴィッツ第3強制収容所(モノヴィッツ)の3つあります。アウシュヴィッツと聞くと一箇所だけだと思っていたのですが、三箇所もあったと聞くと、その規模に背筋が凍る思いです。

ユダヤ人やポーランド人などが強制的に収容されると、過酷な強制労働や虐殺、人体実験などが行われました。大部分の囚人はわずか数週間または数か月しか生きることができなかったそうです。収容所の環境は劣悪なもので、衰弱したり伝染病で命を落とす人も。身体が弱り作業できない人たちは、ガス室で死刑に処されました。

※出典:アメリカ合衆国ホロコースト記念博物館

何を見て・感じてきたのか

最初に訪れたのは、右下の第1強制収容所です。ここだけでも規模が大きいのですが、次に訪れる第2強制収容所は目視で見ると約五倍ほどの大きさでしょうか。よく映画などの舞台になるのは、第2強制収容所の線路とゲートです。

アウシュヴィッツ第1強制収容所

収容所の入り口に掲げられている看板には「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」との文字が。囚人の労働によって掲げられたものですが、「B」が逆さに。
第1強制収容所のでは、人体実験が行われた実験施設や、銃殺刑を執行するための「死の壁」、そのほかに裁判所・病院などがあった。
電流の流れる有刺鉄線のフェンスで囲まれ(左)、機関銃と自動小銃を装備した護衛兵がいる監視塔(右)
ガス室の中を見ることもでき、撮影も行いましたが掲載は控えようと思います。こちらは火葬場の入り口です。
使用された毒ガスの缶
亡くなった方々の靴。男性・女性・子供…。こんなに多くの方が亡くなったと思うと、胸が痛くなります。靴以外にもメガネや鞄、義足とその数は膨大です。

アウシュヴィッツ第2強制収容所(ビルケナウ)

3つの強制収容所の中で、第2強制収容所の収容者数は最大。電流が流れる有刺鉄線のフェンスで9つに区分けされていた。
強制的に連れてこられた多くの囚人
木製の収容所。馬小屋だったものを使い、隙間風が入る粗末なもの。真ん中に見えるのはトイレで、日に2回と利用も制限されていた。
真ん中を挟んだ両サイドに三段ベッドが並べられ、マットレスはなく、わらを敷いて使用
「Gate of Death(死の門)」と呼ばる正門に続く線路

アウシュヴィッツに行く方法

母と一緒に訪れたこともあり、無理なく巡れる方法として、VELTRAのプライベートツアーを利用しました。慣れない土地ですし、1日でアウシュヴィッツ強制収容所と、1978年に世界遺産に最初に登録された12件のうちのひとつである「ヴィエリチカ岩塩坑」を効率的に巡れるのは、限られた旅程の中ではありがたいですよね。日本語がとても上手なポーランド人の女性が付き添っていただいて、とても充実した思い出深い1日になりました。

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